昭和50年12月26日 朝の御理解



 御理解 「白」

 今日はこの白紙の所を頂きました。ですからこの白紙と云うか、この白と言う事について頂きたいと思います。白ということは無ということでもありますよね。無。いつの御理解でしたか、「白と云う色の深さや陶の秋」という御理解を頂いた事があります。「白という色の深さや陶の秋」陶というのは陶器類の陶ですね。白という色程深い色はない。例えば伊万里の柿右ェ門が独特の濁し絵というものなんか白ですが、誰も真似の出来ない白の中でもそういう素晴らしい色です。
 陶と云う確かに色の深さや陶の秋です。私は今日教典を開かして頂いてここの白紙の所を頂いて、白紙と言う事は一切を事を水にするとか流すときに白紙にすると申します。又は白と言う色は私は金光大神の世界を言うと思います。無我である只有難い一色である。勿体ない一色である。そういう風に白と云う色を頂いて参りますと、成程白色という色程深いものはありません。
 実は昨夜〇少の感謝の夕べを終りましてから、ここへ座らして頂きましたら、次から次と色々な御取次をさせて頂きました。だんだん年末ともなりますと、本当に深刻な願い、というのは殆どが経済の問題。丁度四、五人させて頂きましたが、四、五人共そうでした。その中の二人はも思いも掛けないもうそれこそ、もう思いも掛けない、まあ私はこの年末までにおかげを受けるのは必ず皆おかげを受けるだろうけれども、もうギリギリの時だろう此の人がおかげを受けるのはと思うとった人。
 が昨日は既におかげを頂いてお礼に出て来ました。もうそれは話を聞きますと唯ただ、もう本当に有難いと言うより外にないです。もうどの様に考えても人間の考えではあなたの所の願いの金額が出来るなんて事は、どの様に考えても出来そうにない。まあ人間心ではまあ出来ない事でしょうけれども、私は確信して居る事は、今年を愈々有難いと言うおかげを。皆さんが合楽にご縁をおかげを頂いて居る。一人一人が頂いて下さる事の為には、そういうあれも是も一切がおかげを頂いて。
 有難いお礼を申し上げて新たな年を迎えて貰わんならんと言う願いをかけておりますから。おかげを頂くとこう確信しとりますけど。そういうまあ特別の事で御座いましたが、そういう方達のお届をさして頂いたその中の一人の方であります。これもおかげを頂いたと云うお礼お届けがありました時にです、私が御心眼に頂きますのがね、合楽の楽と云う字を頂くんです。
 その楽という字のまん中は白と言う字になっているでしょう。その白と云う字を掻き消すところを頂いたんです。この楽と言う字の中の白が掻き消された所を頂いた。それでその方に話したのですけれども、サアおかげを頂いたと本当に涙の出る様なおかげを頂いたと云うても、それで楽になると言う事ではないと言う事です。もう又次にはお願いしなければならぬ事があるのです。それが例えば金銭なら金銭でも、言うならば借り得たのですから、それを返す時には又お願いせんならんのです言うならば。
 だからこの白と言うのを、ならこの楽という字から取ったらどう言う事ですか。糸偏が二つあって下に木があって楽と言うのはどんなに崩したって読めやしませんよ。だから本当に楽になると言うおかげを頂く為にはです、心が白くになる事を本気で目指さなければならないと言う事です。本気で白になると言う事はね、お互いが改まりにも改まって行くと言う事です。色んな色が付いてます。
 いうならばお道の信心は何処までも生神金光大神と言う境地、いうならば金光大神の世界に住みたいと願わして貰う信心でなければならない。只目先目先のおかげを受けて行くだけ一生を例え続いてもそれは大した事はありません。自分自身が清まりにも清まり、改まりにも改まっておかげを頂いて行くところにです、いうならばハッキリ焦点というか目的を金光大神の世界に住まわせて頂く事を目指しての信心でなからなければならないということです。でないとですね、信心修行に身が入りませんよ。
 でないと信心修行が楽しい有難いものになりませんです。行き当りばったりの信心、いうならばおかげを頂かねばならないからの信心。成程おかげを頂かねばならないから、さあ大祓三十巻も五十巻も上げてから、そしてどうでもこうでもと例えば神様へお願いする人があるとしましょうか、そしてならおかげを頂くと致しましょうか。もうそれで後はきつくなって続きゃしませんです。所がね、金光大神の世界に住む事を目指さして頂いたら、もう限りが無いのです
 。だから限りなくおかげが受けられるのです。だから限りなく楽しいもの、喜ばしいものになって来るんです。昨日滅多には参って来ませんけど、中々この人も又将来は学院行きじゃなかろうかと私はお届けを聞かせて頂いて、それももう夕べです、済んでからです。福岡の方ですから秋永先生にお伺いさせて頂いたら、そりゃ大変な事であるからもう親先生に取次を頂きなさいと言われたからと言うて、昨日私がここに着きますのを待ってお届けをさして貰いよりましたらね。
 もうそりゃ素晴らしいお知らせを頂いているのです。その中に今この道を行けばとことん落ちて行く道。この道を行けばとことん登って行ける道と、そのお知らせを頂いた。昔は例えば井戸釣瓶ですね、車井戸こちらを引けば下がるばっかり、こちらを引けば上がるばっかりと言うお知らせじゃったそうです。ですからお互いがその握りどころ一つでです、言うならば程度の低い信心になって、言うならばおかげ信心で終って仕舞わなければならない。しかしそういう人がどれだけおるか分からないです。
 だからその握りどころをです、本当なものを握るとです、もうこれは必ず一段一段と上に上がって行き、それこそ信心をして行けば一年一年有難うなって行くという、おかげになって行くのです。問題はだから握り違えてはいけないのです。信心の頂きどころを願い、合楽に参れば、おかげを頂くからで参ってもです、それはそれで信心が進むと言う事で、もうとにかく、目指す所を、はっきりしとかねばはらない。金光大神の信心、金光様の信心しよりゃ、誰でも、金光大神の世界に住んでおる事じゃない。
 金光大神の世界に住むと言う事は、それこそ一切が有難い。あれもおかげこれもおかげと分かるようになる信心です。だから一切がおかげ一切が有難い。只それを極めて行こうとする精進努力と言う事がね。今合楽で修行生の方達がもう非常に二、三人燃えております人達が居ります、かならずお広前を一巡するのです、それにそういう人達からね、私は毎晩11時12時。一生懸命のその信心をしとりますから、御用なんかでも本気で打ち込んどりますですね。
所謂金光大神の世界を目指しているのですから、ですからもうそうしなければ馬鹿らしいのです。ですから隅から隅までをです、もう本当に行き届いた事だなあと、兎に角本当にです、本気で例えて言うならばですよ、私はどこも例えばこれだけ沢山ありますから電気を消し忘れのが何時もあります。又風呂なら風呂でも最近私は何時も風呂の例を取り上げますけれども、もう最近私は夜中に必ずまたお風呂に入ります。
 二度入ります夕べも又皆が済んでしもうてから入らせて頂きましたらもう、もうそれこそ合掌して入らにゃ居られんぐらいに、もう風呂場はキチッと整頓されとります。だから例えばどこもここも整頓せんならんと分かっただけとか、して居るだけではあんなに見事にはならんです。何故かと言うと一人二人が幾ら整頓しても他のだらしない人が散らかすから、所が一人でもです、その事に本気で取り組むという人がありますとですね。どれだけ皆が散らかしてもその後から常に整頓してくれてですね。
 本気でその事に取り組んだ人ですね。本気で修行に取り組んだ人、本気で修行に取り組むということが素晴らしいと言う事を、この二、三日感じます言うならば手落ちがないです。私が何時もやかましく言うから只自分の手元の処だけをです、成程風呂場に行けば風呂場でキチッと整頓せんならんそれが信心だ。それがそうする事が同時に後から入る人が気持ちよう入る事ですから、それが人が気持ちようなられる。人が有難う思われる事の為にそうするのですからそれが心行に繋がるんだよ。それが心行だよと私が申しますからああそうだと言うて、自分がそれをして居るだけにしか止まらないです。
 けど本気でそれをね、そう言ういい加減な事が在ってはならない。その事にかけて修行すると言う人が一人居りますとですね、自分だけじゃないです。自分が今度は見て廻る訳です。お広前の何処に手落ちがあってはならない。そう云う様な心掛けの人が一人か二人か居りますとお広前がそれこそ整然とキチッとなりますよ。だから自分だけの所でなくて、それを矢張りそう言う風にさせて頂かねば居れなくなって来るのです。
 信心の修行と言うのは本当の所を目指しますと、本気で金光大神の世界に住もうと、住まわせて頂きたいと、そしてそういう例えば整頓なら整頓が出来た後のおかげは誰が頂く。それはそれだけ精進しよる人が頂くのです。心の中に有難いもの、だからねせなければ馬鹿らしいのです。だから問題は本気にならなければ駄目なのです。握る所を握る本気でそうするとね、又失敗しましたと言う事はないです。金光大神の世界に住む。本当にあれもおかげ、これもおかげと分かるではなくてそう頂けれる信心です。
 分かるだけなら皆様も分かっておられます。最近その事がしきりに言われるのですから、金光大神の世界と言う事。言うならば自分の心をです白にし、それを汚す事に愈々精進致します様にになります。私共がこの奉仕着を付けて白足袋を履くのもです、矢張りただ清浄と言うだけではありません。白足袋を履いとりますと一寸爪先が汚れますともう履いちゃ居られません分るからです。
 自分の心を本当に白くさせて頂きますとです、もう汚したくない様になって来ます。いや汚しましたらすぐ洗わにゃ居られんです。金光大神の世界、そういう言わば絶対のもの、間違いのない所を目指して頂いた信心にならせて頂かなければです、言うならば本当の意味に於いての楽にはなれないと言う事をひとつ分かって頂きたい。ただそこに自分が改まるとか清まると言う所に焦点を置かずしておかげを頂いてもそれは本当の意味に於いての楽にはならない。
白と言うのが何時も掻き消されている。白という字があって初めて楽なんです。何でも矢張り目の付けどころ、それは本当な所へ焦点を置いて参りますと、言うなら目の付けどころが変わって来る。修行生の中にお広前の中でも一番散らかり易い汚くなる、そう言う所だけを特に今日からお掃除をさせて頂きますという、二、三日前お届けした修行生が居ります。もうそれこそ裏の裏ですからそんなに誰でも気が付ない、しかも汚い事より楽な所を言うならばしたいのが人情。
 けれども人の目につかん、言うならば汚い人があんまり手に付けない様な所を、返って選ってそこを綺麗にしようと言う様になって来ます。信心ちゃ不思議ですよね信心の心と言うのは。こうやってお話を皆さん頂いておられますと、成程白と言う色の深さはもう限りがないのです。私共が例えば金光大神になれるとは実は思われません。思われませんけれども矢張り目指す所はそこにおいて、矢張り握る所だけはそこを握って一歩でもそこへ近づこうとする精進こそお道の信心でありお道の信心の修行です。
 何時も同じ様な事で腹の立てておる。もう如何にその人が信心の堂々回りをしとる事が分かるです。同じ腹を立てるでも、それこそ神様が立てなさるだろうと言う様な腹しか立たん様になって来ます馬鹿らしいです。
 お互いが言わば楽になりたいと言う事は、おかげを頂きたいと言う事、楽と言う事は私は本当に金光大神の世界に住んで初めて本当の楽と言う事が言えると思うです。心に不安が無い心配が無い。在るものは喜びばっかり、こんな楽な事はありません。不安がある心配がある。そこに自分がまだまだ自分の信心がこの程度であると言う事をもって精進さして頂いておりますと、去年同じ事で腹が立って、おったり同じ事で不安であったりした事がです、今年はもうそれ位の事には全然不安を感じなくなります。
 それ位の事には全然腹が立たなくなります。そして自分の心が白に近づいて行きよる事を自分で確認する事が出来ます。信心の楽しみはそれです。有り難うなる有り難いと言う度合いが変わって来るのです。先日頂きましたね、生きて居る間は修行中じゃとこういう、だから同じ修行であっても、一年一年有り難うなって行くと言う様な修行じゃなければ駄目です。一生がもう苦労のしじんであった、と一生例えば貧乏で過されたとか、人間関係で何時もあちらは悩み抜いて一生終られたと言う様な事ではいけない。
 一生が修行と云うのはそういう有難い金光大神の世界を目指して進んで行くと言うおかげでなからなければならない、金光大神お道の信心を頂いた値打もない事になります。夕べ私はその本当に有難いおかげを頂いた。それは本当に有難い涙のこぼれる様なおかげだけど、それでは丁度楽と言う字を中の白と言う字を掻き消して居る様なもの、でそれでは有難いだけであって、またこのお繰合わせを頂いて、又次に払わなければならん時は、やっぱり同じ苦しいです。
 お繰合わせを頂いたと言う事だけは有難い、それには本気でですそういう苦しい思いをする時が一番改まり良いのです。難儀を感ずる時が一番研きよいのです。だからその白を愈々、白たらしめると云うかね、おかげを頂いて参りまして初めて天地との繋がりが出来る。自分の云うなら大きな木が添うてそれが楽という字になる様に、本当の意味に於いての楽を目指しての信心。まあ今日はそう言う事を聞いて頂きました。本当の意味の楽を目指すの信心、それは金光大神の世界を目指すと言う事。
 それはとてもとても手の届かん事ではありますから、とても私の様なものがその様な生神様にならなくても、と言う様な事ではなくて、そこに言わば姿勢だけは、そういう姿勢を持っておかねばならん。握る所だけはそこを握っとかねばならん。ただおかげならおかげだけの綱を握ったら一生おかげだけの世界で落ちて行かねばならん。そんな訳ですから、上を登って行けれる綱をしっかり握らなければいけない。そして愈々信心を、本当な有難いものにして行かねばいけません。
 愈々「白の色の深さや陶の秋」であります。もう二十何年も前の、まだ椛目時代の事でしたけれども、この事を頂いて本当に白を目指すと言う事を頂いた時に、すり硝子ですね、すり硝子を頂いたです。乳白色ですかねあれは。所がすり硝子じゃねまだ向こうが見えん。お前が白を目指しとるけれども、まだこのすり硝子程度じゃと頂いた事があります。まあだそれじゃ向こうが見えない。
 今日どの位の所を頂いとるか分かりませんけれども、それが少しはぼんやり位は向こうが見える位におかげを頂いとるのじゃないかと自分でも思います。愈々それこそ無色透明と言った様なおかげを頂き、いわゆる金光大神の世界に住まわせて頂く事、愈々目指さして頂こうと私も思います。皆さんも目指す所をそこ一つおいて下さい。今日はこの白紙のここの白の所を頂いて、今日の御理解を聞いて頂きました。
   どうぞ。